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法律コラム

2025年02月

当たり前だけど個人的に不思議な話

当たり前の話をするなと怒られるかも知れませんが、ご容赦下さい。
少し前に母が亡くなり、父も施設で生活するようになりました。そうすると色々考えさせられます。
親が亡くなって改めて思うことは、やはり人は何時かは死んでしまうし、その人が抱えていた色んな気持ち、とても強い思いであっても、結局は雲散霧消してしまうということです。そうなのであれば、色々と葛藤し、思い悩んで生きていることに、結局のところ意味はないのかという思いにも駆られます。
でも、きっとそうではないですよね。私が感じるのは、諦めて無気力に希望なく過ごすよりも、結局は消えてしまうとはいえ、前向きに楽しんで努力して生きること、そのためにもがくことこそ、生きている意味を与えてくれる原動力である(本来的には意味はなくても、意味を付与する契機である)ということです。まあ、平たく言うと、不幸で生きるよりも幸福に生きたいということですね。当たり前のことです。
そして、そのためには、誰かを強く求め、誰かに強く求められること、そうしたことがやはり重要だろうと感じます。男女であっても、親子であっても、別の形であっても、どんな形であっても。村上春樹の小説に繰り返し繰り返し描かれているように。これも当たり前のことです。
ただ、私が不思議なのは、何故そうなのかということです。どうして、そんなことが、それほどの意味を持つのか(あるいは持つように思われるのか)ということです。
専門外でよく分かりませんが、生物の中でも、そんなことに大きな意味がありそうなのは人間だけのような気がします。「生殖」という観点を少し離れて、それほどの強い思い、多様で複雑な思いを持って、他の個体に相対しているのは人間だけのような気がするのです。それが何とも不思議です。答えのない問いで、誠に申し訳ないのですが。
それは良い意味でも悪い意味でも現れます。「憎悪」といった感情も、同じ根っこから生えており、良い面と悪い面は表裏一体で、その時々によって姿を変えてくるといった印象です。
人と人とが強く求め合って結びついても、何らかのきっかけで上手くいかなくなり、その関係が破綻してしまう。誰よりも強く求めていた人を、最も忌み嫌うようになってしまう。
それもまた往々にして起こりうることです。残念ではありますが、誰が悪いといった問題でもなく。優劣、善悪も関係なく。
我々弁護士は、そうした実例を日常的に目にすることになります。なかなか熾烈なことも少なくありません。
ここを乗り越えて、また別の形でやり直して欲しいなと感じています。
Happiness Has Your Name
最近偶然手に入れたイタリア・ジャズのアルバム(CD)のタイトルですが、素敵な題だと思いませんか。リーダーはピアニストのRomano Mussolini、そう、あのムッソリーニの息子さんです。すごく良い盤です。