法律コラム
また仕事とは無関係の話
昨年、村上春樹の「街とその不確かな壁」を読みました。この本は2023年に刊行された本で、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)の続編という位置づけです。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を最初に呼んだのは、大学生の時で、今でも最も好きな村上作品のひとつです。この本は、「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の2つの部分から成り立っています。2つの物語は交互に進行し、最後に両者の関係が解き明かされるという構造です。それぞれ示唆に富む内容になっており、とても考えさせられます(以下、ネタバレ多数です)。
「ハードボイルド・ワンダーランド」の主人公は、最終的に自ら望まない形でその意識を失うという運命に陥ります。ただ、それは決して不幸なものなのではなく、自ら構築した自己完結した意識世界に入り込むことを意味しており、ある意味では幸福なことでもあります。そこには激しい喜怒哀楽やエゴのもたらす苦しみはありません。しかし、主人公は、今のままの自分でありたいと痛切に感じます。「こんな人生でも、それを抱きしめて生き続けていたい」と煩悶するのです。年を取って多くの輝く可能性を失い、他人から見たらパッとしない人生であっても、それこそが自分の人生であり、そこには固有の喜びがあるので、それを大事に今後も生き続けたいと感じて苦しむのです。ここに描かれているのは私たち自身の問題でもあります。とても心に残ります。
「世界の終わり」の主人公は、先ほど述べた自己完結した意識世界で生活しており、平常心を得られる見返りに「影」と切り離され、次第に人間らしい感情を失いつつあります。それはある意味では幸福なことですが不自然なことでもあり、主人公は元の世界に戻るべきか否か悩みます。しかし、最終的に自意識の世界に留まることを選択します。それは、ある若い女性と一緒にいたいと強く感じてのことです。この女性も「影」と切り離されて心を失ってはいるものの、その片鱗なようなものがどこか感じられます。そして、主人公は特殊な仕事をする中で、その女性の心の断片を感じることになります。その温もりをかすかに感じ、彼女とともにありたいと強く願うのです。その時、ずっと忘れていた「音楽」が彼の口をつきます。それはダニー・ボーイの美しいメロディ-です。主人公の心は柔らかさを取り戻し、目からは涙が溢れます。ここを読む度に、僕はビル・エヴァンスの演奏する美しいダニー・ボーイの演奏を思い出し、グッときてしまいます。ここには人が人を求めるということの大切な意味(のうちのひとつ)が描かれているように感じられます。それもまた私たち自身の問題です。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」には、そのほかにも沢山の印象深いシーンが描かれています。それは滋養となって私の一部を形成し、心を豊かにしてくれているように感じています。
小説でも音楽でも良い作品に出会うと励まされます。
それは時を超え、場所も越えて我々に働きかけてきます。
どうしてそんなことができるんでしょうね。