東近江で離婚・相続・賠償・借金の法律相談なら八日市駅前法律事務所

法律コラム

2023年02月

普段は意識しないけど大切なこと

コロナになって数年経ちます。最初のころは、それまで「当たり前」に感じていたことが、もろくも崩れてしまった思いがして、何とも言えない気持ちになりました。
ある意味で意外だったのは、そんな状況で自分が最も強く求めたものが「音楽」や「絵画」や「本」であったということでした。もっと、現実的に役に立つ何かではなくて。それらに特に造形が深いわけでもないのに。そして、何よりも嬉しかったのは、そう感じているのが自分だけではなく、社会の多くの人が同じように感じているようだという事実でした。
そんな気持ちを抱えて、私は、時間があったらまとめて聴きたいと思っていたミュージシャンのCDを買い集めて系統立てて聴いたり、少しずつ営業を再開した都市部のレコードショップに足を運んでは気になっていたアナログ・レコードを買い集めてじっくり聴いたりするようになりました。以前よりも少し丁寧に音楽と接するようになりました。
ときに、「文系はすぐ役に立たない。即戦力にならない。理系の重要性をきちんと認識して、そちらに予算を回すべきだ」というような社会の声が聞こえてくることがあります。そのような議論の場における「文系」や「理系」という言葉が一体何を指しているか、正直、よく分からないところはありますが、そういった意見を聞く度に、「いや、そんな単純なことではないはずだ」と私は感じてきました。「単純な利便性の問題に還元できないからこそ、そこには本当に重要な何かが含まれているはずだ」「そこから学べること(得られること)の重要性において、決して、理系に引けをとらないはずだ」と反発する気持ちがありました。そして、コロナを経験した今、その思いはより強くなったように感じています。
以前、村上春樹さんが何かのエッセイで「自分は、物語を作ることで、暗い森の中で(邪悪な何かと)闘っているんだ」というようなことを書かれていました。それを読んだとき、私は、その文脈もあって、独善的で排他的なもの、単純であるが故にとても力強くて攻撃的なもの、そうしたものに対抗できるイメージを持てるように、村上さんは物語という枠組みを使って我々読者に働きかけているのだと理解しました。私はそのとき「正にその通りだ」と思いました。それも物語の持つ重要なひとつの側面なのだと。
読書にせよ、音楽鑑賞にせよ、美術鑑賞にせよ、それらは簡単に言葉では説明のできない大切な体験をさせてくれます。それは何かと比較して単純に優劣を論ずることの難しい事柄であるように感じられます。ただ何となく分かるのは、それが自分にとってとても重要なものであり、コロナのような状況に陥ったとき、自分を助けてくれる何かなのだということです。生きる滋養となる何かと言えばよいのかも知れません。
そうしたものであるからこそ、困難な状況となって人々はそれを求めたのでしょうし、人は営々と物語を紡ぎ、音楽を奏でてきたのではないでしょうか。